コーショー

ソ連軍のマチルダは何色だったのか?(2)

刮目せよっ!今、明らかになる、レンドリース・マチルダ&バレンタイン塗色の現実(リアル)に!
…というわけで今回は、レンドリース・マチルダ&バレンタインの塗色を確認出来る個体サンプルについてご紹介。

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下リンクは、2013年にヴォロネジの北西、テルブンスキー地区にて発見されたレンドリース・マチルダの車体前面鼻部の残骸。画像はリンク先の動画よりキャプチャ。
http://gorod48.ru/news/160738/
http://gorod48.ru/news/159806/

Green_mati

この車両は、第11戦車軍団・第3旅団の車両で、1942年7月にドイツ軍に対して攻撃中に湿地帯に嵌ってしまったらしい。

ご覧のように塗色はグリーン系である。むろん退色しているであろうから色調について断定的な事は言えないが、黄色味の強い、比較的明るめの緑のように見える
残された銘板の地色にもグリーンの塗色が残っているのに注意。また車体前面鼻部左右の、収納ロッカー内部にあたる部分にも車体色が塗られているのが興味深い。

銘板から、この車両は 1942年2月に生産されたMATILDA IV CSで、「WD No. T37173」「MAKERS No. 274」と判明している。
その後、履帯(T.D.5910履帯)や砲弾などの一部は揚がったが、他の車体部分や砲塔は残念ながら発見に至らなかった様子。

塗色とは直接関係はないが、「T37173」という WD No.(War Department number)を生産リストと照らし合わせると、この車両は「ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道(London, Midland and Scottish Railway, LMS)」製ということになっている。

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下リンクは、オタワのカナダ戦争博物館に収蔵されているバレンタインで、車体前端が一体鋳造式であることから判るように、カナディアン・パシフィック社製の【バレンタイン Mk VII
http://www.dishmodels.ru/wshow.htm?p=2737

この車両はカナダで生産された後、レンドリースでソ連に渡った車両で、1944年1月25日、ウクライナのチェルカッシー近郊にて氷結した河川を渡河中に誤って水没したとされている。1990年になって引き揚げられ、その後 1992年のウクライナ独立後にカナダの戦争博物館に里帰り寄贈された。

引き揚げ時のまま再塗装はされておらず、車体に残った塗色を(薄らとマーキングも)観察できる貴重なサンプルで、車体色はグリーン。こちらも退色してはいるだろうが、やはり黄色味の強い、比較的明るめの緑のように見える。

本題とは離れるが、踏面に極小のスパイクがある履帯リンクが興味深い。

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ソ連軍のマチルダは何色だったのか?(1)

ちょいと多忙でなかなか更新出来ない為、ネタを小出しにしてご機嫌を伺わせていただきます(^^;)。

「ソ連軍のマチルダは緑色に塗られていた」ということの傍証として、Imperial War Museum(英・帝国戦争博物館)収蔵の絵画コレクションから、絵画に描かれたマチルダをご紹介。

■『Loading Tanks for Russia』Leslie Cole:1941

https://artuk.org/discover/artworks/loading-tanks-for-russia-6786/

Leslie Coleという画家が 1941年に描いた作品。ソ連に送る為に貨物船に積み込み中のマチルダで、車体は緑色に描かれています。
よく見ると、吊り上げられた車両の車体側面には渡渉限界を示すラインが赤で描かれており、また手前の車両の車体には注意書きの文字が白で描かれているのが見て取れます。

■『Loading Tanks for Russia II』Leslie Cole:1942

https://artuk.org/discover/artworks/loading-tanks-for-russia-ii-6794/

こちらは 1942年の作品で、貨物船の船倉に固定作業中と思しきマチルダ。やはり車体は緑色で描かれています。
注意書きの白い文字も見えます。面白いのが登録番号(T-XXXXX)で、赤文字で描かれていますね。

ちょっと外れますが、操縦手ハッチや砲塔の上に置かれた木材が興味深い。何でしょうねコレ。ハッチ開口部周辺をガードしているので、或いはペリスコープの破損を防ぐ為の措置かも(ペリスコープは装着されたまま送られたようなので)?
輸送運搬時には砲塔右側面の煙幕発射筒は外され、前部フェンダー上の予備履帯や工具類も外されますが、これらも規定通り。

■『Lowering a Tank for Russia into the Hold』Leslie Cole:1942

http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/5264

貨物船の船倉に吊り降ろし作業中のマチルダを描いたもので、車体色はこちらも緑。渡渉限界線は赤で描かれています。
この絵では「主砲&防楯周りが黒く塗られている」のに注目。これは防水の為にゴム系塗料でシーリングされた状態を表現したものでしょう。輸送運搬時には実際にこの処理が為されています。

いずれも、実際にその目で見て描いたんじゃないかと思わせるようなディテールが表現されており、緑色で描かれた車体色についても、ある程度の信憑性を感じさせます。
もちろん一方で、「撮影されたモノクロ写真を基にして、想像で描いたんじゃないの?」という切り捨て方も出来るでしょう。その辺は各自のご判断で。

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BT-42 は BT-7M のガソリンエンジン仕様ベースなの?(その2)

■ エンジン・エアフィルター

【BT-7 Mod. 1937】まで、エアフィルターはエンジンハッチ外側上面に装着されていました。エンジンハッチを開けた車内は下写真の様になっています。
エンジンの上面中央には、エアフィルターとハッチ越しに繋がる吸気部があり、エアフィルターで濾過された空気はハッチ中央の穴からこの吸気部を経由して供給されました。

Bt7_m17t


一方、V-2・ディーゼルエンジンの【BT-7M】では、エアフィルターは車内のエンジン上面に移動し、エンジンハッチからは離れます。
エアフィルターの性能的には大差ないと思われますが、エンジンハッチ上の車外装備では損傷も多かったと思われ、エンジン室内装備は望ましい形態でしょう。

Bt7m_v2


■ エンジンハッチ・ベンチレーターカバー

尚、上写真の様に【BT-7M】ではエンジンハッチ上に小径のベンチレーターカバーがあるのみですが、このカバーは実は【BT-7 Mod. 1937】までの車両にも存在していました。
下は【BT-7 Mod. 1935】のエアフィルター・ユニットの断面図で、中央の水色に塗った部分が件のベンチレーターカバー。周囲のフィルターパーツに覆われており、通常は外から見えません。【BT-7M】でエアフィルターが車内に移動した際に、このベンチレーターカバーだけはプライマリの吸気部として残され、同時に露出した訳です。

Bt7_kinoko


■【BT-7M ver. NKVD】のエアフィルターは?

では、M-17-T・ガソリンエンジンを搭載した【BT-7M ver. NKVD】に於いて、エアフィルターはどういう形態で装着されていたのか?【BT-7 Mod. 1937】のように車外装備だったのか、それとも【BT-7M】に準じて車内装備だったのか…? 残念ながら、これは現在のところ明らかではありません。
そもそも【BT-7M ver. NKVD】というのが【BT-7 Mod. 1937】と仕様的に何処が違うのか、殆ど全く謎。まぁ恐らくは【BT-7 Mod. 1937】に準じた仕様だったのだろうと想像は出来ますが…。

■【BT-42】のエアフィルターカバー

さて、パロラ戦車博物館に現存する【BT-42・Ps. 511-8】が装着しているエアフィルターのカバーは、一般的な BT-7のエアフィルター・カバーとは若干異なった特徴を持っています。
【BT-7 Mod. 1937】までのカバー上面は、2箇所に付く「取手」以外はフラットでしたが、【BT-42・Ps. 511-8】に装着されているカバーは、上面中央に(開閉可能な?)円盤があります。

Bt7m_airfilter


このタイプのカバーを装着した BT-7の写真は殆ど無いんですが、後部から撮影された画像をあらためて見てみると、各部OVMの装備位置が【BT-7M】に準じた仕様であることが判ります。具体的には、車体後部にあった収納箱が無くなり、長い棒状のもの(何だっけコレ?)が装着されており、ジャッキの搭載位置も左右フェンダーの前端に移動しています。
つまり【BT-7M】とはその生産時期がかなり近しいと思われ、ひょっとしてひょっとしたら、この「円盤付きエアフィルター・カバー」は【BT-7M ver. NKVD】に固有の装備だった…なんてこともあるかもしれませんね。

いつか、工場仕様書等が公開されて、その辺が明らかになると良いですが、果たしてそんな日は来るのだろうか…(尚、本稿引用の画像は全て ebay 出品画像によります)。

Nazo_airfilter


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BT-42 は BT-7M のガソリンエンジン仕様ベースなの?(その1)

■ 発売中の『モデルグラフィックス』誌に、フィンランド軍の突撃砲 BT-42についての対談記事が掲載されています。
その文中、BT-42の改造ベースとなった鹵獲 BT-7について、
BT-7Mであり、更に、NKVD向けに製造されたガソリンエンジン仕様車ではないか?という見解が述べられています。

まずここで BT-7の各型と搭載エンジンについて整理しておくと、こんな感じ。
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BT-7 Mod. 1935(馬蹄形砲塔)】----- M-17-T・ガソリンエンジン
BT-7 Mod. 1937(円錐傾斜砲塔)】----- M-17-T・ガソリンエンジン

BT-7M】----- V-2・ディーゼルエンジン
BT-7M ver.NKVD】----- M-17-T・ガソリンエンジン

BT-42】----- ガソリンエンジン(恐らく M-17-T)

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1937年型までの【BT-7】は M-17-T・ガソリンエンジンを搭載。
それを V-2・ディーゼルエンジンに変更し、燃費(航続距離)の向上と、難燃性を獲得したのが【BT-7M】。
ところが、NKVD(内務人民委員部〜後のKGB〜)では運用上の観点からガソリンエンジンの搭載を欲し、それに応じて72両のガソリンエンジン仕様の【BT-7M】が作られた。これが【BT-7M ver.NKVD

【BT-42】はガソリンエンジンを搭載していることになっており、従ってベースとなった BT-7は【BT-7 Mod. 1937】か【BT-7M ver.NKVD】ということになります。
『モデグラ』記事では、継続戦争中、カレリアのペトロザボーツクに NKVDの部隊が駐屯しており、フィンランド軍との戦闘で BT-7が鹵獲されているとのこと。そこから、この鹵獲 BT-7については【BT-7M ver.NKVD】なのではないか、更に【BT-42】はそれらの車両をベースに改造されたものではないか…という話のようです。

それ自体は興味深い話ではあるんですが、文中では【BT-7M ver.NKVD】ではないかという疑念について「BT-7と比べていろんな造作がおかしいと、モデラーが言っている」「いろいろ変なタイプなのが【BT-7M ver.NKVD】ベースだとすると説明付く」「タミヤはBT-42用にBT-7をあちこち直している」というような事が書かれていて(立ち読みなので表記はこの通りではない)、それらにはちょっと疑問符が付くのです。

1937年型までの【BT-7】と【BT-7M】の違いは、基本的に搭載エンジン及び付帯機器であり、その他のディテール(装備品搭載位置を除く)に付いてはほぼ同一である…というのが私の認識です。
下画像はほぼ同じアングルから見た【BT-7 Mod. 1937】と【BT-7M】。【BT-7】がエンジンハッチ上に大きなエアフィルターを装着しているのに対し、【BT-7M】ではエアフィルターが車内に移動したため、エンジンハッチ上には小径のベンチレーターカバーがあるのみとなっています。

Bt7_7m


で、外見から判別出来る【BT-7】と【BT-7M】の違いってこの部分のみで、他に「BT-7と比べていろんな造作がおかしい」というようなポイントはちょっと思いつかないんですよね。
「いろいろ変なタイプなのが【BT-7M ver.NKVD】ベースだとすると説明付く」については、【BT-7M ver.NKVD】そのものの外見的特徴が明確になっていないので、説明を付けようが無いんじゃないかなと。

「タミヤはBT-42用にBT-7をあちこち直している」について言えば、タミヤの BT系はまず最初に【BT-7 Mod. 1935】が発売され、次が【BT-42】、その後に【BT-7 Mod. 1937】という順番であり、確かに【BT-42】の発売時にあちこちディテールが変更になっているのは事実(この記事あたりを参照)。
ただそれはあくまで順番的に【BT-42】発売時に修正されたものであって、内容的には【BT-7 Mod. 1935】と【BT-7 Mod. 1937】とのディテール差異を再現したものでしょう。

なお、私は別に「【BT-42】のベースは【BT-7M ver.NKVD】なんてことは無い!」…と言いたい訳ではありませんので、念のため。

【BT-7M ver.NKVD】ベースだったら面白いな…とは思いますが、それを確認するには、記事中でも触れられているように「車体製造番号」を確認するしかないんじゃないかな。
ちなみに、製造番号はたぶん操縦手ハッチとその横の戦闘室前面あたりの装甲板に刻印されていると思われますが、塗装を剥離させないと判別は不能でしょう。


つづく…。

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ベラルーシの KV-1・39年型砲塔

先日のエントリーでお伝えした、ベラルーシで発掘された KV-1・1939年型砲塔。1/1スケールの 76.2mm L-11防盾が目に新鮮です。撫で回してぇっ!

砲塔左前部の溶接が残念ながら剥離・断裂しちゃってますね。モデラー的には親指と人差し指でつまんで瞬着を流し込みたい感じですが、実物はそうはいかないんだろうな(当たり前)。

この部分は、今回発掘のタイプでは単純な段落とし加工ですが、この後、前面装甲板からアンカーボルトを打ち込んで補強する方式に変更され、ちょっとやそっとでは断裂しないようになります。そういう意味では貴重なサンプルかも。このタイプの砲塔本体も他には残っていなかった筈。

Kv_l11


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KV-1 1939年型、発掘

ベラルーシのヴィテブスク近郊にて、新たに KV-1が発掘されたそうです。
でもってこの KV-1が、76.2mm L-11装備のいわゆる1939年型ですよ
っ!(画像はリンク先より)

L11

39年型は今まで現存車が残って無かったので、コレは貴重。写真から見て L-11防盾でも2番目のタイプですね。
今後、ベラルーシの「スターリンライン博物館」にて展示予定だそうです。

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T-34の幅狭転輪(2)

【文献と記録写真】
文献的には、まず T-34の実車マニュアル各種を斜め見たところでは、幅狭転輪について触れていると思しき箇所は確認出来なかった(精読した訳では無いので確認漏れの可能性も有り)。

書籍ベースでは、フロントヴァヤ・イリュストラツィヤ シリーズ・06/2006『T-34-76 下から上まで』の上巻に於いて、鋳造製の幅狭転輪を一体鋳造転輪初期型・40穴ゴムと分類している。しかしながら、同書では「ソリッドゴム部の幅」については触れられていない。

現在、ロシアのモデラーの間ではこの幅狭転輪については「狭リム・40穴転輪」等と呼ぶケースが多い。不思議と「BT-7のゴムの〜」といった表現は見掛けず、「40穴」を特徴として押し出している印象だ。
本稿では以下、ロシア文献及びモデラーの呼称に沿い、40穴・幅狭ディッシュ転輪」「40穴・幅狭鋳造転輪と呼称したい。「ディッシュ」と「鋳造」は言葉の意味的に対応していないが、ここはわかりやすさ優先で。

「40穴・幅狭ディッシュ転輪」と「40穴・幅狭鋳造転輪」の登場時期については、記録写真ベースで観察すると、前者の方が半年以上も早い。


写真は比較的お馴染みのもので、モスクワ攻防戦に於ける、赤軍・第1親衛戦車旅団所属の T-34。撮影は 1941年の11月とされる。

Eksmo

…実はこの写真、書籍によって撮影日付のキャプションがまちまちで、1942年1月、同2月としているものもあって困りもの。一応、出典を明示している M.コロミエッツ氏著作の記述に従い「1941年11月」を採用した。1941年11月7日に、モスクワ・赤の広場で行われた革命記念式典パレード参加車両と各部の仕様がほぼ一緒なので、大きく外れてはいないだろう。

さて、写真がやや不鮮明ながら、この車両の左舷側転輪は(少なくとも)第2〜4転輪が「40穴・幅狭ディッシュ転輪」であると思われる。

この車両の様に 1941〜1942年の冬に「網状迷彩が施された第183工場製の T-34」では、「40穴・幅狭ディッシュ転輪」を混ぜ履きにしているケースが多い。例えば、PeKo Publishing刊の『T-34 ON THE BATTLEFIELD表紙の車両は、左舷第2転輪が「40穴・幅狭ディッシュ転輪」であろう。
いずれにせよ、「1941年11月」撮影の車両で既に装着が見られるという事で、その頃には装着が開始されていたと言える。

Amiami

恐らく 1942年春頃の撮影と思われるが、やはり冬期迷彩を施した第183工場製の車両で、第1転輪以外は全て「40穴・幅狭ディッシュ転輪」である。元写真は拡大すると辛うじてソリッドゴムの穴を数える事が出来、やはり「40個」だ。

六角砲塔の1942年型で見ると、日付が判明している貴重な例が、フィンランド軍が鹵獲した六角砲塔の先行量産車(後の R-155車)を撮影した写真で、同車は鹵獲時に「40穴・幅狭ディッシュ転輪」と「通常型 ディッシュ転輪」を混ぜ履き装備していた。SA-Kuvaのデータによると撮影は 1942年4月19日とされており、逆算すると、恐らくは同年3月の生産車と考えられる。

第183工場製・42年型の初期生産車で「40穴・幅狭ディッシュ転輪」の装着例は散見されるが、同転輪の装備期間としては 1942年4月〜5月位は終盤段階だと思われ、それ以降は順次鋳造転輪にシフトしていく。つまり、「40穴・幅狭ディッシュ転輪」の装備期間は「1941年晩秋〜1942年初夏位」と言う事が出来るだろう。

次に40穴・幅狭鋳造転輪だが、こちらは 1942年5月に撮影された第183工場での生産ライン及び完成車で、既に装着が見られる。残念ながら具体的な日付までは不明だが、5月は確定ということになる。

Tiv

なお「40穴・幅狭鋳造転輪」は、通常型の「鋳造(蜘蛛の巣)転輪」や「緩衝ゴム内蔵型転輪(鋼製転輪)」と一緒に使用されるケースも多い。前回冒頭の「ドヴァトール号」も「40穴・幅狭鋳造転輪」の他、「通常型 鋳造転輪」,「通常型 ディッシュ転輪」,「緩衝ゴム内蔵型転輪」と、実に4種類も混ぜ履きしている。
1942年5月に撮影された上記写真の車両でも、第1転輪は「通常型 鋳造転輪」を装着しており、つまりこれは
「40穴・幅狭鋳造転輪」と「通常型 鋳造転輪」は同時期に生産が開始されたということを意味している。

写真を追うと、「40穴・幅狭鋳造転輪」は 1942年初夏〜秋に撮影された車両に思いのほか装着例が多く、同時期の第183工場製の車両は、基本的に「40穴・鋳造転輪」を何らかの形で装着している率が高い。

【何故作られたか】
まず思いつくのは、余剰していた BT-7転輪用ソリッドゴムを有効活用した…という考え。
しかし、幅狭転輪はディッシュ・鋳造を通して実に1年近くも装備され続けており、第183工場製 T-34では、通常型転輪よりもむしろこの時期のスタンダードと言っても良い存在となっている。到底余剰在庫でまかなえる数量では無く、 BT-7用のゴム型を使用し、幅狭転輪用として積極的に生産されたと見るべきだろう。

1941年の後半は、第183工場を含む関連工場の、ウラル地方への大規模疎開の時期であり、また同時に、1941年後半からの増産計画に伴う各部の簡略化を実行し始めた時期でもある。恐らくはその辺が影響しているのではないかと思えるが、今後事実が明らかになることを期待したい。

【模型的なこと】
さてさて、でもって、ICMの転輪。きちんと40穴を再現しているのは良いんですが、ゴム周囲に掘られた溝部分が太くてちょっと印象悪い。ズベズダっぽいというか。ICMキット単体で使用するならば問題無いかもですが、ドラゴンの転輪等と混ぜて使用する場合には表現の差異が気になるでしょうね。

より正確さを望むなら、タミヤ BT-7の転輪からゴム部を持って来て、ドラゴンの転輪と合体させるのが満足度高いでしょうね。かく言う私もだいぶ前にやりかけて放置しているブツがあったり。
もっとも、ロシアのレジンメーカー【コンプレクト・ジプ】には以前からこの転輪のリクエストが行っていたので、ICMキットが出た今、同社からレジン製転輪が出る可能性も高まったかなとも思います。

Bt_katki

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T-34の幅狭転輪(1)

最近あちらこちらで、T-34の幅の狭い転輪に関する話題を見掛けます。
恐らくは、最近 ICMから発売された T-34キットに、当該パーツがいきなり入っている為でしょう。同キットはインストの解説が不十分で(というか無い)、モデラーに丸投げ状態だとか。
他所のブログ等に長文のコメントをするのも気が引けるし、画像も貼れないし、それに「オレにも語らせろや」という気分でもあるので(^^;)、ちょっと書いてみましょう。

Dovator_2

写真は、モスクワ・勝利の丘記念公園に展示されている T-34 六角砲塔型「ДОВАТОР(L.M.ドヴァトール・ソ連邦英雄の名から)号」の幅狭転輪。2002年に撮影。
鋳造製のいわゆる「蜘蛛の巣転輪」初期タイプであるが、外周ソリッドゴム部の幅が通常の T-34よりも狭くなっているのが判る。

【特徴と構造】
外周にソリッドゴムを持つ T-34の幅狭転輪にはプレス製・ディッシュ転輪鋳造製・蜘蛛の巣転輪が存在する。
両タイプに共通する特徴はソリッドゴム部に開いている穴が40個であるということ(ゴム周囲に掘られた溝も同様に片側40溝なのだが、ここでは穴の方に代表させる)。T-34標準の転輪ソリッドゴムの穴は「42個」なので、2個少ないことになる。

「ソリッドゴムの穴が40個」というのは、これは BT-7用の転輪と同じ数であり、計測されたゴム部の幅も BT-7用転輪と一致する。
また、転輪直径も T-34と BT-7は同じく「830mm」であり、その他各部の細かな特徴も一致することから、T-34の転輪本体と BT-7用のソリッドゴムを合体させたものが、この幅狭転輪であると考えて差し障りは無さそうだ。

現存パーツ及び写真を観察するに、ディッシュ転輪・蜘蛛の巣転輪とも、転輪本体部分は通常型・幅狭型とも恐らく同一のもので、異なるのはソリッドゴム部の幅だと思われる。
ちなみに、幅はソリッドゴム部の踏面(履帯に接する面)片側ベースで、T-34標準の 138mm程度に対し、BT-7転輪では 83mm程度と、約40%細い。
ちなみのちなみに、転輪直径は BT-7では「830mm」だが、同じ BT系列でも BT-5の場合は直径「815mm」であり、時系列的にみても、T-34の幅狭転輪に供されたものは「BT-7」の転輪であると絞って問題無いだろう。

外周にソリッドゴムを持つ T-34の転輪は、転輪本体の外縁リム(便宜上「内リム」と呼称)の外側に更に輪金(便宜上「外リム」と呼称)が巻かれ、その「外リム」にソリッドゴムが装着される仕様。

下は T-34マニュアルに掲載の転輪断面図(ディッシュ・蜘蛛の巣)に、同縮尺にした BT-7の外リムとソリッドゴムを合成したもの。青系が T-34のパーツで、赤系が BT-7のパーツ。

Danmen

幅狭 ディッシュ転輪の場合、T-34転輪本体の外縁「内リム」部の立ち上がりが大きい為、装着した BT-7の「外リム」下部に出っ張っている(図 A の部分)

一方
幅狭 蜘蛛の巣転輪では、転輪本体外縁「内リム」の立ち上がりが「ディッシュ転輪」よりも小さく、装着した BT-7の「外リム」の方が僅かに出っ張る(図 B の部分)

ソリッドゴム部の幅が確認出来なくとも、リム部の出っ張り幅というこの特徴が観察出来れば、通常型転輪と
幅狭転輪との判別は可能になる。

- 続く -

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T-26 のサスペンション・ボギー取付部

T26_mizu


上写真、演習地に於ける渡河デモンストレーションでしょうか、川あるいは池から上がる T-26 ですが、なんかサスペンション・ボギーの取付部から水がジャージャーと出てますよ。アイエエエェェ!?ミズ!?ミズナンデ!?と思いつつ実車マニュアルに当たったところ、T-26 のサスペンション・ボギー取付部って、ムクの軸ではなくパイプ(管)状で、しかも車体を左右に貫通してるんですね。いや気づかなかった。

現存実車でも、真横からの写真で、ボギー取付管の穴から反対側の景色が見えているものがありました。
つまり上写真は、ドボンとこのボギー取付管に入った水が、再び排出されている、その恐らくは3〜4秒位のタイミングに撮影されたものでしょう。

マニュアル(下図)によれば、サスペンション・ボギーのうち「9(赤い部分)」が取付管に対応するクランプ部で、「10(青い部分)」がその締付ボルトだそうな。真ん中の黄緑色の部分が開口部で、車体反対側まで抜けています。

T26_manu


戦時中の写真を見てもこの部分の穴は開いたままで、穴を塞ぐフタのような物を取り付けた車両は見当たりませんね。マニュアルにもそのような物の記載は無し。
でも、開口部開きっ放しで大丈夫だったんですかね?ボギー取付管は車体左右を貫通しているものの車内には通じていないので、ここから車内に何かが侵入してくる…ということは無いですが、長い間水の中に停車していると管の中にウナギとか入って来そうですよ。あるいは、小鳥とか野ネズミとか小リスといった森の愉快な仲間達が侵入して巣を作っちゃったりとか…。

なお、T-26 の派生車両のうち、SU-5-1, 2, 3 の各自走砲では「後部サスボギーのみ」取付管開口部にあたる部分にフタ(?)が付いてますね。
理由は不明ですが、実車工場図面を見たところでは、
SU-5-1, 2, 3 では後部サスボギーの取付管が車体左右を貫通しておらず(前部サスボギー取付管は T-26 と同様、左右貫通)、ボギー取付基部自体の仕様が異なるようです。
同車両はエンジンをミッドシップ配置にして車体を延長、後部に 76.2mm 〜 152mm クラスの大砲を搭載しており、重量や衝撃、また車内レイアウトの関係などから仕様が変更されたのでしょう。
というわけで、
SU-5-1, 2, 3 の模型をスクラッチしようという人は、後部サスボギーの取付開口部を塞がないと、私が突っ込みを入れます(^^;)。

さて、模型ですが、T-26 を 1/35 で発売しているのは RPM, ZVEZDA, Hobby Boss あたり。その内 ZVEZDA と Hobby Boss は穴が塞がってますね。RPM は開いてるっぽいけど、まぁいいや RPM は。RPM だし。

いずれにせよ、この部分を作るならば、ボギー取付管を真鍮パイプ等で再現、実車同様、車体左右に貫通させて、そこにボギーを取付けると気分ですね。
タミヤ、出さないかニャー、T-26。

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タミヤ【MM. 35327:ソビエト戦車 BT-7 1937年型】(その3)

あれ?「その3」?「その2」ってあったっけ?と思った貴方は正しいです。「その2」は「その1」の続きなんですが、まだ途中までしか書いてないので先に「その3」をば。

■ エンジン点検ハッチの鍵穴

今回は砲塔から離れ、やはり新規パーツのエンジン点検ハッチについて。
タミヤ【MM. 35327:ソビエト戦車 BT-7 1937年型】キットのエンジン点検ハッチ(H12)は、
開閉ロック用の鍵穴が省略されています
バスル下の見えにくい箇所な上、開閉用の手摺りの陰にもなるんですが、機構上無くてはならないものなので再現してやりたいところ。

図を参考に、ハッチの中心線上、前縁から 1.5mm の箇所に 0.8mm 径の穴を開け、中央に 0.5mm x 0.5mm 程度の角棒を立てます(本当は 0.3 〜 0.4mm 位がベター)
「0.5mm x 0.5mm 程度の角棒を立てます」とかサラッと書いてますが、プラ材もこのサイズになると加工時の歪みやメクレがあったりするんですよね。難しい場合には六角ボルトとか伸ばしランナーでも良いでしょう。或いは穴を開けただけでもOK。
砲塔が正面を向いている時には全く見えませんが、2時〜10時位の砲塔旋回位置にする場合には無いと締まらない感じ。鍵穴だけに。

Bt_ryuk2

なお、上の図は【MM. 35309:ソビエト戦車 BT-7 1935年型用のパーツ(B31)を元に描いたので、(H12)とは手摺りパーツの取り付け穴位置が異なってますが、その他は同一です。…というか、キットにはこの(B31)も不要部品で入ってるのね。もし加工に失敗したとしてもコレを使えますよ。

…で、(B31)を使用したことからも知れるように【MM. 35309:ソビエト戦車 BT-7 1935年型の方も同様に開閉ロック用の鍵穴が省略されていますので、そちらを作る場合にも開けてやりましょう。こんな感じ。

Keyhole


BT-42 のエンジン点検ハッチ

ついでながら、タミヤ BT-7 もう一つのバリエーションである【MM. 35318:フィンランド軍突撃砲 BT-42について。

ご承知の通り、BT-42 はソ連軍から捕獲した BT-7 1937年型をベースにして改造されていますが、パロラ戦車博物館の現存車(Ps.511-8号車)では、エンジン点検ハッチ本体も BT-7 のハッチのままであることが確認出来ます。
戦中に撮影された写真で機関室上面が判るものは少ないんですが、Ps.511-19号車の写真でやはり BT-7 のハッチと確認出来るものがあり、鍵穴も写っています。

従って、基本的には BT-7 同様に鍵穴はグリグリと開けて良いでしょう。

また、BT-7 のエンジン点検ハッチには
開閉用の手摺り(パーツ:H40)が付いていますが、BT-42 では何故かこれを撤去しているようです(砲塔バスルとの干渉を恐れた?)。
タミヤ BT-42 にもこの手摺りは付いていませんが、元々は 1937年型の手摺りが溶接されていたと思われるので、鍵穴を再現したならば、ついでに手摺り撤去後の溶接痕を再現してやりたいところですね。

なお、
BT-7 のエンジン点検ハッチの上にはエアフィルター・ユニットが載っていますが、パロラに現存する Ps.511-8号車ではこのエアフィルター・ユニット上部のカバーが BT-7 の一般的なものとは異なり中央部分に平たい円盤状の物が乗ったタイプで、これは「フィンランドのオリジナル」と言われています。
私はフィンランド物に明るくないので、それがフィンランドのオリジナルであるとする由来については知らないんですが、「中央部分に平たい円盤状の物が乗ったタイプ」の蓋は、ソ連オリジナルの BT-7 にも見られる物です(写真参照)。

Bt7_airf


残念ながら写真の解像度が低く、側面部位などがいまひとつ不鮮明ですが、少なくとも上面はパロラの BT-42 が装備するものと良く似ています。
写真の個体は搭載装備品の位置などから、比較的後期に生産された車輌のようですね。

元々写真に写りにくい場所でもあり、このタイプを装着した BT-7 はこの1例しか知りませんが、一応呈示まで。

(そのうち)つづく。

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