ソレマチ

ソ連軍マチルダの水彩画

ebayに興味深いアイテムが出品されていた。
大戦中のドイツ宣伝中隊(PK)による水彩画で、1942年〜43年の冬、オリョール地区で撃破されたソ連軍のマチルダ…とのこと。

Orel-matilda_01

これは元々『Mit unseren Panzern im Osten - 我等が戦車は東に在り』 と銘打たれた、一連の「東部戦線スケッチ」シリーズの一枚で、宣材として軍の酒保等で売られていたらしい。オリジナルのセットは現在では高額であり、出品されていたのはその複製品。

シリーズ中の幾つかの画像は見たことがあったけど、このマチルダシリーズは、私は初見。「さて、車体色は何色か?」…なんて話はまぁこの際置いておきましょうかね。車体横には渡渉限界を示す赤帯も描かれています。

Orel-matilda_02

Orel-matilda_03

|

「レンドリース」という表記についての当ブログのスタンスなど

少し前ですがWebで、「レンドリース法」はアメリカ合衆国の法律であり、ソ連に送られた英国含む西側からの援助を何でも「レンドリース」で括るのは誤りである…といった内容のお怒り(?)発言を目にしました。

この意見は全く正しく、ごもっともであると思います。
「レンドリース法(Lend-Lease Acts)」は米国の法律なので、例えば「レンドリースのシャーマン」と呼称するのは良しとしても、マチルダやバレンタイン等の英国車両は「英ソ協定(Anglo-Soviet Agreement ~ Agreement Between the United Kingdom and the Union of Soviet Socialist Republics : July 12, 1941)」に基づき供与されたものであり、それを「レンドリースのマチルダ」のように呼称するのは、確かに誤りでしょう。

ごもっともな意見…ではあるんですが、実際問題として、現状少なくとも模型界隈的には、ソ連に渡った英国車両でも「レンドリース車両」と呼称するのは普通に行われているんですよね。

当事国であるロシアから出版されている、例えば『Танки Ленд-Лиза. 1941-1945:レンドリース戦車 1941-1945』(2000年:エクスプリント)や『Танки ленд-лиза в бою.:レンドリース戦車の戦い』(2009年:エクスモ)といった研究書でも、ソ連に送られた車両は、米国,英国,カナダといった供給元に関わらず一括りに「レンドリース車両」として扱っていますし、Web上で「レンドリース車両」に関してやり取りが為される場合でも、その車両の供給国ごとに言い分けたりはしないのが一般的になっていると思われます。

当ブログは「ゆるい感じの模型ブログ」を謳っておりますので、上記の様な世間一般の流れに沿い、英(連邦)国車両も「レンドリース車両」と呼んでおります
従って、当ブログ内で「レンドリース」とあった場合、それは「レンドリース法」に基づいて貸与されたものと「英ソ協定 1941」によって供与されたもの等を一括りに合わせた、いわば「広義のレンドリース(そういった言葉があるかどうかは不明ですが)」と解釈していただければ幸いです。

更に、レンドリース系車両愛好モデラーは「レンドリ者と呼んだりもしますね(^^;)。

なお、冒頭書いたように「ソ連軍の英軍車両までレンドリースによるものと呼ぶのは間違い」という主張それ自体は正しいので為念。
それを言い分けるのはなかなか大変だし、ウチはやらないですけど、頑張って言い分けて下さい…って感じでしょうか。

|

ソ連軍のマチルダを作る:タミヤ【35355:歩兵戦車マチルダMk.III/IV “ソビエト軍”】

発売なったタミヤ35355:歩兵戦車マチルダMk.III/IV “ソビエト軍”が、ウチにも到着。

まず箱絵がカッコイイ。レンドリ者だったらこの箱絵だけでリキッドポリの水割りを軽く3杯はイケますね。
成形色は先に出ていた英軍仕様と異なりOD系で、これも目に新鮮。新規パーツは、以前も書きましたが、「側面装甲板(サイドスカート&排土傾斜部)」「スリット廃止型の工具ロッカー蓋」「履帯スキッドレール」「T.D.5910 後期型履帯」「フィギュア」等で、まずは過不足無く後期仕様を再現しています。

モールドも進化していて、側面装甲板の最前部及び最後部には、英軍仕様で省略されていたモールド(マイナスネジと5つの謎小穴)が追加されています。英軍仕様のキットも持っている人は、このソレマチ・バージョンの側面装甲板パーツを参照してモールドを加えると良いかも。

全体に高い水準で良くまとまった好キットと言えましょう。あとは各自で好きなようにコニコニ組むが吉です。
私は2両組む予定だったんですが、キットを見ていたらもう1個欲しくなりましたよ。まぁホントにそんなに組むかは眉唾ですが。

それにしても、マチルダにせよバレンタインにせよ、ソ連仕様で組む人なんて(全体から見れば)少ないだろう…と半ば安心して(?)ゆるゆるやってたんですが、まさかのタミヤ発売により、世界中でソレマチ・ソレンタインが一斉に組まれるという状況に…。恐るべし!タミヤ・パンデミック!ですな。

Mm35355

|

ソ連軍のマチルダは何色だったのか?(2)

刮目せよっ!今、明らかになる、レンドリース・マチルダ&バレンタイン塗色の現実(リアル)に!
…というわけで今回は、レンドリース・マチルダ&バレンタインの塗色を確認出来る個体サンプルについてご紹介。

-----------------------------------------

下リンクは、2013年にヴォロネジの北西、テルブンスキー地区にて発見されたレンドリース・マチルダの車体前面鼻部の残骸。画像はリンク先の動画よりキャプチャ。
http://gorod48.ru/news/160738/
http://gorod48.ru/news/159806/

Green_mati

この車両は、第11戦車軍団・第3旅団の車両で、1942年7月にドイツ軍に対して攻撃中に湿地帯に嵌ってしまったらしい。

ご覧のように塗色はグリーン系である。むろん退色しているであろうから色調について断定的な事は言えないが、黄色味の強い、比較的明るめの緑のように見える
残された銘板の地色にもグリーンの塗色が残っているのに注意。また車体前面鼻部左右の、収納ロッカー内部にあたる部分にも車体色が塗られているのが興味深い。

銘板から、この車両は 1942年2月に生産されたMATILDA IV CSで、「WD No. T37173」「MAKERS No. 274」と判明している。
その後、履帯(T.D.5910履帯)や砲弾などの一部は揚がったが、他の車体部分や砲塔は残念ながら発見に至らなかった様子。

塗色とは直接関係はないが、「T37173」という WD No.(War Department number)を生産リストと照らし合わせると、この車両は「ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道(London, Midland and Scottish Railway, LMS)」製ということになっている。

-----------------------------------------

下リンクは、オタワのカナダ戦争博物館に収蔵されているバレンタインで、車体前端が一体鋳造式であることから判るように、カナディアン・パシフィック社製の【バレンタイン Mk VII
http://www.dishmodels.ru/wshow.htm?p=2737

この車両はカナダで生産された後、レンドリースでソ連に渡った車両で、1944年1月25日、ウクライナのチェルカッシー近郊にて氷結した河川を渡河中に誤って水没したとされている。1990年になって引き揚げられ、その後 1992年のウクライナ独立後にカナダの戦争博物館に里帰り寄贈された。

引き揚げ時のまま再塗装はされておらず、車体に残った塗色を(薄らとマーキングも)観察できる貴重なサンプルで、車体色はグリーン。こちらも退色してはいるだろうが、やはり黄色味の強い、比較的明るめの緑のように見える。

本題とは離れるが、踏面に極小のスパイクがある履帯リンクが興味深い。

|

ソ連軍のマチルダは何色だったのか?(1)

ちょいと多忙でなかなか更新出来ない為、ネタを小出しにしてご機嫌を伺わせていただきます(^^;)。

「ソ連軍のマチルダは緑色に塗られていた」ということの傍証として、Imperial War Museum(英・帝国戦争博物館)収蔵の絵画コレクションから、絵画に描かれたマチルダをご紹介。

■『Loading Tanks for Russia』Leslie Cole:1941

https://artuk.org/discover/artworks/loading-tanks-for-russia-6786/

Leslie Coleという画家が 1941年に描いた作品。ソ連に送る為に貨物船に積み込み中のマチルダで、車体は緑色に描かれています。
よく見ると、吊り上げられた車両の車体側面には渡渉限界を示すラインが赤で描かれており、また手前の車両の車体には注意書きの文字が白で描かれているのが見て取れます。

■『Loading Tanks for Russia II』Leslie Cole:1942

https://artuk.org/discover/artworks/loading-tanks-for-russia-ii-6794/

こちらは 1942年の作品で、貨物船の船倉に固定作業中と思しきマチルダ。やはり車体は緑色で描かれています。
注意書きの白い文字も見えます。面白いのが登録番号(T-XXXXX)で、赤文字で描かれていますね。

ちょっと外れますが、操縦手ハッチや砲塔の上に置かれた木材が興味深い。何でしょうねコレ。ハッチ開口部周辺をガードしているので、或いはペリスコープの破損を防ぐ為の措置かも(ペリスコープは装着されたまま送られたようなので)?
輸送運搬時には砲塔右側面の煙幕発射筒は外され、前部フェンダー上の予備履帯や工具類も外されますが、これらも規定通り。

■『Lowering a Tank for Russia into the Hold』Leslie Cole:1942

http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/5264

貨物船の船倉に吊り降ろし作業中のマチルダを描いたもので、車体色はこちらも緑。渡渉限界線は赤で描かれています。
この絵では「主砲&防楯周りが黒く塗られている」のに注目。これは防水の為にゴム系塗料でシーリングされた状態を表現したものでしょう。輸送運搬時には実際にこの処理が為されています。

いずれも、実際にその目で見て描いたんじゃないかと思わせるようなディテールが表現されており、緑色で描かれた車体色についても、ある程度の信憑性を感じさせます。
もちろん一方で、「撮影されたモノクロ写真を基にして、想像で描いたんじゃないの?」という切り捨て方も出来るでしょう。その辺は各自のご判断で。

|

ソ連軍のマチルダを作る(タミヤが)!

今月1日からドイツ・ニュールンベルクにて開催中の「シュピールヴァーレンメッセ・2017」にて、タミヤが新製品35355:歩兵戦車マチルダMk.III/IV “ソビエト軍" を発表しました。
やー驚いた。【35352:イギリス歩兵戦車 バレンタインMk.II/IV】が赤軍レンドリース仕様のマーキング入り…という流れはあったにせよ、ここへ来てまさかのソレマチとは。
まぁマチルダというと英軍でもチョロっと使われたらしいけど、皆さんご承知のように実質的にはソ連戦車ですからね(暴言)。

展示パネルのパーツ図を見ると、新規パーツは側面装甲板(サイドスカート&排土傾斜部)」「スリット廃止型の工具ロッカー蓋」「履帯スキッドレール」「T.D.5910 後期型履帯」「フィギュアといったあたりで、後期仕様の特徴は当然ながらキチンと押さえられてます。
サイドスカートは、転輪点検用小ハッチのヒンジが下ヒンジのゴツいタイプになってて、以前出ていた仕様をそのまま使っても誤りではないにもかかわらず、新規パーツを起こしてくれたのが喜ばしいところ。

T.D.5910履帯は先に発売された【35300:イギリス歩兵戦車 マチルダMk.III/IV】と同様の部分連結式で 、普通に組む分には適した態様でしょう。可動にしたいならば他社製の連結履帯という選択肢も今ならあるし。 (*1)
(*1) 正式リリース情報によると、履帯は「スナップ連結による組立式」とのことで、部分連結式ではなく「各個連結式」のようです。バリュー感がアップですね。
http://www.tamiya.com/japan/products/35355/index.htm

【MM 35300】キットの方にオマケパーツとして入っていた「CS用 3インチ榴弾砲砲身」「低いタイプのキューポラ」はそのまま【MM 35352】にも付属するでしょう。同パーツはむしろこのソ連軍仕様でこそ本領を発揮するパーツなので、活用してキットの魅力もアップです。
また、後期仕様が出るということで、例えば「オーストラリア軍仕様」等にも作りやすくなりますな。

しかし、パーツ図を見てると何だか「後期仕様にするための改造パーツ」みたいな感覚になりますねー。これだけパッケージングされてても欲しい感じ。

一瞬ドキッとしたというか懸念したのが、展示された試作見本が「茶色く」見えたこと。
もし本当に茶色に塗っちゃってたりしたら「タミヤ…やっちまったな…」って感じだったんですが、これはどうも展示用の照明が暖色系のために色調がダークアースっぽく見えていたようで、TAMIYA USAにアップされた方の画像では、ちゃんと緑系に塗られていて一安心です。

何故か最近、みしりん掲示板等で「レンドリースでソ連に行った英軍車両はダークアースに塗られていた説」を主張する人が居るんですが、いや、基本はグリーン系ですから
この辺のことは次回に書いてみる予定。

下は 1942年の年賀カード。背景の車両は紛れも無く、冬期迷彩されたマチルダで、カードに書かれた赤文字は「前線から新年の挨拶!」です。前線から家族宛用のカードでしょうか。
最初のレンドリース戦車がロシアのアルハンゲリスク港に到着したのが 1941年10月11日。それから 1941年末までに 180両ほどのマチルダがソ連に渡っていますが、二ヶ月後の年賀カードに早くも登場しているのってのがちょっと驚き。

Mati01

|

ソ連軍のマチルダを作る: 続・側面装甲板(その2)

ふむふむ。東京スカイツリーの根元に出来た商業施設は「東京ソラマチ」というのか…。「ソラマチ…?」「ソ…レ?マ…チ」な…何か重要なことを忘れているような…!だが思い出せない…ッッッッ!

というわけで、2010/11/30記事の追加情報です。

側面装甲板のバリエーションのうち、【◎6:前半部装甲板・最前開口部の張り出しはそのままだが、後半部装甲板・最後部の基部用張り出しが加工省略され、開口部がその分拡大されたタイプ。◎4の逆パターンでかなり稀な例】(←長いよ)の写真がHDの奥の方にあったのでご呈示。英本土の港湾施設に於ける撮影のようです。

Bp1

Bp2


|

ソ連軍のマチルダを作る:Echelon Fine Details 【Soviet Lend-Lease Matildas】

Echelon Fine Details からソレマチ用デカールセット【ALT352018:Soviet Lend-Lease Matildas】が出たので、早速引いてみました。(※画像は同社サイトより引用)

Alt352018setソレマチをはじめ、レンドリースでソ連に送られた車輌は、その送られた「素」の状態に近いまま運用されているものが殆どでした。
米・英軍使用の車輌にしばしば見られる、乗員や部隊による小改造などは、ソ連軍運用の車輌ではまず見掛けません。また乗員の個人装備品等も目立ちませんね。
見方によっては「人間味的な部分が少なくて寂しい」とも言えますが、個人的にはこの無機質さというか「剥き身感」がレンドリース車輌の魅力のひとつであると思っています。

ハード的には無機質なレンドリース車輌ですが、しかしマーキングに関しては結構にぎやか。
ソ連軍によって書かれた砲塔番号やスローガン等もそうですが、送り主の米・英軍によって車体各部に書き込まれたコーション・ステンシル類は、何よりそれがレンドリース車輌であることを示す証左ともなっています。
言ってみれば、レンドリース車両の模型について考えることは、即ちそのマーキングについて考えることであるとも言えましょう。

さて、Echelonの【Soviet Lend-Lease Matildas】

13.5cm x 12.5cm 程の台紙に、ソレマチがフルで7両分。車体側面の赤線をデカールではなく塗装で再現するなどしてやり繰りするならば、更に5両分増え、トータル12両の中から選択して再現可能となります。
12両って…。ちょっと詰め込みすぎだよ、にぃに。

英軍によって書き込まれたコーション・ステンシル類はよく考証されており、書体など実際のもの通り。
特に、渡渉時用のコーションサイン「Fording height」は、実車では数種の書体が確認出来るんですが、そのうちの3種を再現してあります。やるじゃん。なかなか。

これらコーションサイン類は、大凡の記載位置は決まっていましたが、車輌(及び時期?)によって結構バラつきがあります。付属の解説シートではその車輌ごとの実際の記載位置も図示されています。
この解説シートに載っている側面図では、当ブログでも取り上げた車体側面開口部の形状や、サスペンション点検ハッチのヒンジ、ターレットリング・ガードなども描き分けられており、なかなか資料性が高いですね。ただ、キューポラの高さなどは全部一緒だったりと大雑把な面も。

いずれにせよ、デカール記載のこれら特定車輌を再現するならば、実車の状態をそれなりに把握していないとキビシイかも。
例えば砲塔番号「11-96」号車は「下駄履きタイプの履帯」を装着しているんですが、その辺はデカール付属の解説シートだけでは判りません。まぁその辺は本セットに限らず全てのデカールシートに言えることですが。

ともあれ、全体にかなり考証が行き届いており、良好な出来。デカールの印刷もアメリカの Microscale なので問題なし。綺麗です。
先に書いたようにデカール量が多く、ぶっちゃけかなり余りますが、コーション・ステンシル&サイン類は「歩兵戦車 Mk.III バレンタイン
など他のレンドリース車輌にも流用可能なので、レンドリース車輌に興味があるならば、まず押さえておいても良いと思います。

私、マーキング類は自作デカールを作成するつもりでコニコニと作業もしてたんですが、コレを使ってみてもまぁいいかもなー。

|

ソ連軍のマチルダを作る: 続・側面装甲板

2009/9/17記事の続編です。

上記記事では、上部転輪がスキッドレールに変更されたことに伴う、側面装甲板の変遷を簡単にまとめました。

その中の【◎4:前半部装甲板の最前開口部にあった基部用の張り出しが加工省略され、開口部はその分拡大されたが、後半部装甲板の最後部の張り出しはそのまま】というタイプについて、「逆のパターン(前半部の張り出しがそのままで、後半部の張り出しが加工省略されたパターン)は現在まで未見」と記したんですが、その「逆のパターン」の車両写真が出てきました。

Machie

ドイツ軍によって撃破されたソレマチ。冬を越した車両で、車体前部には冬期迷彩が残っています。
赤丸で囲った部分が問題の箇所で、
最前開口部の張り出しはそのままですが、最後開口部の張り出しの方は、既に廃止されています。
うーむ。手持ちの画像をもう一度チェックし直しましたが、このような例は他には確認出来ませんね。かなりレアかと。

ともあれ、
【◎6:前半部装甲板・最前開口部の張り出しはそのままだが、後半部装甲板・最後部の基部用張り出しが加工省略され、開口部がその分拡大されたタイプ。◎4の逆パターンでかなり稀な例】
ということで追加です。

Ma_side6_2

記録写真では【◎4】のタイプの方はそこそこ見られ、基本的には先の記事のような変遷だったと考えますが、こういう例もあるんですねー。いやぁ、事実って面白いよなぁ。

|

ソ連軍のマチルダを作る:補助燃料タンク&補助燃料タンク基部

今回は、前回記事の最後の方で触れた「ソ連に行ったマチルダは補助燃料タンクが廃止されていた」のかどうかの考察をちょろーんと。
.

Ma_tank1

.

Ma_tank2


上に挙げたものは、とりあえずHD内に保存されていた写真からピックアップしたものです。
前三枚は、ソ連軍配備後の東部戦線に於ける写真。後三枚は英国本土のデポ及び積み出し港での撮影で、今まさにソ連に向けて出荷されゆくマチルダです。前回記事中に掲示した写真同様、車体後部に「補助燃料タンク基部」を装着した車両がそれなりに存在していたということが判ります。

前三枚のうち一番最初のものは「補助燃料タンク」自体をも装着しています。
側面の持ち手、上面の注入孔周囲の段差から、これは例えばT-34用燃料タンクの流用などではなく、マチルダ用オリジナルの燃料タンクであることがまた確認出来ます。

もし「ソ連に行ったマチルダは補助燃料タンクが廃止されていた」のならば、この「補助燃料タンクを装着した車両」はそれに反する「イレギュラー」な例で、何かの間違いでタンクを装着したままソ連に渡ってしまい、運用され、撃破された車両が奇跡的に写真に撮られたもの…ということなのでしょうか?
また、英国本土から出荷されていくマチルダ達は、廃止されて全く無用の装備となった筈の「補助燃料タンク基部」を、何故、整備・装着したまま海を渡ったのでしょうか?

そう考えるよりも、「マチルダについて、補助燃料タンク及びその基部は、英国に於いてそれらが装備されていた車両については、そのままソ連軍に引き渡されて使用された」…と捉えた方が自然だと思いますがいかがでしょうか。少なくとも、これら状況証拠写真の存在を踏まえた上での、現段階に於ける私の立場はこれです。

残された写真は確かに少ないですが、実は英軍が使用したマチルダでも、補助燃料タンクを装着した車両が絶対的多数だという訳ではありません。ソ連軍のマチルダが補助燃料タンクを装備していないのが「不自然なほど少ない」…とは、私は、感じてはいません。
ちなみに、「オーストラリア軍向けに送られたマチルダ」、及び「レンドリースでソ連に行ったバレンタイン戦車」に於いても、補助燃料タンクは同じく装着されているということを併せて呈示しておきます。

もし、「ソ連に行ったマチルダは補助燃料タンクが廃止されていた」という主張に根拠があるのでしたら(この場合、文献資料になると思いますが)、大変興味がありますので、それを呈示していただければ幸いです。

-------------------------------------------------------------------------------------------

ま、とはいえ前回の記事でいきなり「出鱈目」呼ばわりしたのは、些か大人げ無かったというか、キーが滑った感もあり、若干反省もしています(ちなみに出所は個人サイトではなく、商用サイトの製品説明欄ですので為念。むしろ商用サイトの記述なればこその突っ込みと言えましょう)。
従いまして、前回記事の当該箇所は、これは客観的に観測される事実とは異なり、また根拠も示されていないので注意と言い換え、訂正いたしました。
ふぅ…。ほんと、疲れる…。

|