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февраль 2024 г.

さらぬ別れ

母は昭和2年(1927年)の生まれ。太平洋戦争が始まった年には14歳、終戦の年には18歳で、輝くべき青春の頃には戦争の真っ只中であった。
戦時中は陸軍被服本廠にて軍服の製造に従事した。割と成績優秀(本人談)だった母は陸軍挺進連隊(通称:陸軍落下傘部隊)用軍服の縫製などを担当したそうで「胸ポケットが斜めに付いていて難しかった」と言っていた。その他「電熱線がぐるぐる入った飛行服」とかも。「でもあの軍服を着た兵隊は、みんな死んじゃったんだろうねぇ」と。

終戦の間際には長野に疎開。乗っていた汽車が戦闘機に機銃掃射を受けたり。
この類の証言では「戦闘機のパイロットの顔までハッキリわかった」という記述をよく目にするが、林の中に隠れて機銃掃射の様子を見ていた母によれば、実際に「顔までハッキリ見えた」のだそうだ。なお疎開している間に東京の家は空襲で焼失。

戦後は洋服仕立の工房に就職。注文服などの他、朝鮮戦争特需の際には照明弾用の落下傘を縫ったりしていたそう。落下傘と縁があるな。
進駐軍配給の毛布をコートに仕立て直し、進駐軍トラックのバス(GMCとかだろうか?)で通勤。進駐軍のバスは座席が高く、座ると足が付かなくて情けなかったのだとか。

娯楽の乏しい時代、10代後半の時期を戦争で潰された反動もあり、続々と配給される様々なジャンルの映画を楽しみに観た。その時代の多くの人々がそうであったように。

私はレイ・ハリーハウゼンの特撮映画が好きなのだが、これなども母からの推奨によるところが大だ。
母による『シンバッド七回目の航海』に登場するサイクロプスの形態模写(特に歩き)には度肝を抜かれた。「こんな真似をする大人が居て良いのか」…と。ハリーハウゼンに見せたかったよ。

映画や美術,文芸,漫画からアニメーションなど、様々なものを一緒に楽しめたのは幸せな時間だったと思う。美術展も都内はもちろん、横浜とか千葉とか結構あちこち行ったよな。

令和6年(2024年)1月、永眠。行年97歳。いや97歳って凄いよ。オレそんなに長生きする自信無いよ…。
お疲れさまだったよね。ゆっくり休んで。そしてまた会った時には積もる話をしようぜー!

…以上、極私的ながら備忘録として。

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