SU-85&SU-100・操縦手ハッチの鋳造刻印文字
■ SU-85操縦手ハッチの "С." 鋳造刻印文字
SU-85の操縦手ハッチには、表面中央の下部に "С." の鋳造刻印文字がある("С" は英アルファベットでは "S")。これは以前(2000年!)に記事にしているので参照されたい。
【GIZMOLOGIC MEMO:SU-85の操縦席前面ハッチの特徴】
記事では「SU-85の操縦手ハッチはT-34のそれとは細部が異なる専用のもので、工場ラインや修理時にT-34用の操縦手ハッチと区別するために "С." の刻印が付けられたのでは」と予想した。「今後の研究を期待したい」と結んでいるが、では20年以上経った現在その「研究」はどうなっているかをまとめてみた。
結論から言うと、この刻印の出所由来を明確に記した一次資料はロシアでも見つかっていないらしい。
ロシアの模型雑誌『Mホビー』誌の編集長である ニコライ・ポリカルポフ 氏は、同誌 2017/01『既知についての未知』記事中で…
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『SU-85自走砲では、このハッチにトーチカ(点)付きの "С." の文字が施されていた。これらの文字の意味に関する資料はまだ見つかっていないが、設計ロジックは次のようにたどることができる。UZTM工場では多くの戦闘車両の装甲部品を鋳造し他の工場に供給していた。SU-122自走砲では操縦手のハッチがT-34よりもずっと狭かったので、これらのハッチを戦車のものと混同することは不可能であった。しかしSU-85の操縦手ハッチは外見的にはT-34の操縦手ハッチとよく似ており細部が異なるだけだったので、"С." - "самоход = サマホード" (1940年代の工場資料ではこう呼ばれていた)が付けられた。』(機械翻訳を元に筆者が微修正)
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…と記している。
記事では、直接的に明示した資料は見つかっていないものの、1940年代の工場ドキュメントに於いて「Cамоходная Артиллерийская Установка = サマホードナヤ・アーティレリイスカヤ・ウスタノーフカ(自走砲)」を "самоход = サマホード" と略表記しており、その頭文字である "С." だったのではないかと考察している。
また、ロシアのAFV研究家である ユーリイ・パショーロク 氏も、やはり『Mホビー』2019/07『ソ連の中型駆逐戦車』記事中で…
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『戦車用ハッチと混同しないように、製造当初からハッチ表面に "С." の文字があった』
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…と記している。
なお、ユーリイ・パショーロク 氏によれば、"С." の文字はSU-85の極初期では中央やや右側にズレて刻印されていたが、その後は、SU-85Aに到るまでハッチ下部中央に配置されたとしている。
上にあげた写真はモスクワの中央軍事博物館で撮影したSU-85(1944年夏生産のSU-85A)のもので、SU-85では生産全期間を通じて "С." 刻印付きだったと言える。
■ SU-100操縦手ハッチの "Р." 鋳造刻印文字
SU-100の操縦手ハッチには、表面中央付近にやはりトーチカ(点)付きの "Р." の鋳造刻印文字がある("Р" は英アルファベットでは "R")。
こちらに関しては先の『Mホビー』2017/01『既知についての未知』記事中で…
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『(1945年)3月に行われたもう一つの変化は、操縦手ハッチに鋳込まれていた "Р." の文字が消えたことである。4月にはこの文字が入った操縦手ハッチは見られなくなった。
〜中略〜
前面装甲板の厚さが75mmに増加したSU-100自走砲の新型操縦手ハッチも、装甲と同等の強度を達成するために厚みを増した。しかし外観はSU-85のハッチに類似して変わらないため、特別なマーキングが必要となった。T-34とSU-85の操縦手ハッチの生産が完了するとSU-100の方は特別なマーキングが不要になり、"Р."( "равнопрочная" )の文字は消えた。』
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…とあり、"Р." は "равнопрочная" の頭文字だとしている。"равнопрочная" は「同等の強度」と訳すのかな、1944年6月にUZTMで作成されたSU-100の操縦手ハッチに関する工場ドキュメントにこの "равнопрочная" という用語が使用されており、そこからの類推としている。「増厚された前面装甲と同等の強度を持つハッチ」ということだろう。
つまり、SU-85の操縦手ハッチの刻印文字はT-34の操縦手ハッチと区別するために付けられ、SU-100の操縦手ハッチの場合はT-34と、それに加えてSU-85の操縦手ハッチとも区別する必要があり付けられたとことになる。
冒頭リンクの私の記事内容については概ね予想通りだったかと言えるが、以下のように訂正と修正も必要だろう。
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“SU-85”の生産工場は「ウラル重機械製作工場(UZTM 第9工場)」であり、“SU-85”の生産が開始された1943年の夏には同工場ではT-34の生産自体は行われていない(*1)。しかし下請けラインでの混乱や修理時の便宜のため“SU-85”用の操縦手用ハッチには区別のため【С.】の刻印が付けられた…。しかしその後、生産の効率化を図る上で、T-34シリーズと、T-34車台のSUシリーズのハッチは改良され統一化が図られた…というのはどうだろうか(*2)
(*1)UZTMでSU-85の生産が始まったのは1943年8月からで、同月、同工場では9両のT-34が製造されており、月単位で見るとギリギリ被っている。
(*2)この「生産の効率化を図る上で……統一化が図られた」という推測はハズレで、実際にはそのような事実も計画も存在しなかった。
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なお、『Mホビー』記事『既知についての未知』は、ニコライ・ポリカルポフ 氏の名を冠してはいるが、実際にはロシアの複数のマニア&研究家(例えば ユーリイ・パショーロク 氏を含む)による研究をまとめたもので、いわば集合知によるもの。模型誌なので内容も「模型的に外から見えるディテールの解説と時期的変遷」が主になっており、例えば「エンジン室内の燃料ポンプの変遷」といった「見えない部分」についてはオミットされている。モデラー的にはむしろ歓迎されるポイントかもしれない。
同記事はその後『Mホビー』別冊としてまとめられ、また 2020年には英訳されて Canfora Publishing刊【Red Machines vol.2:SU-100 SELF-PROPELLED GUN】に収録された。 Canforaの同書は既に入手されている方も多いかと思われるが、SU-100に興味のあるディテール考証派のモデラーならば買って損なし!の一冊だろう。
なお、ZVEZDAの新版SU-100も同誌の内容を元に開発されている。
最後に余談ながら、Miniartから SU-85のキットが発売になった時、操縦手ハッチにちゃんと "С." の文字がモールドされているのを見て「ヨ〜シヨシヨシヨシヨシ」と思いましたねー。
で、これがモールドされるに至ったことについては私の記事も0.5%くらいは影響しているんじゃないの〜?と個人的には思ったりしております。当該記事はロシア方面の掲示板で時々リンクされたり引用されてたりしていたので。まぁ特に証拠もなく私がただただ勝手に思ってるだけですけども。ともあれ、ディテール星人としてはお気に入りのディテールが製品に反映されるのは嬉しいことです。
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