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T-34の幅狭転輪(2)

【文献と記録写真】
文献的には、まず T-34の実車マニュアル各種を斜め見たところでは、幅狭転輪について触れていると思しき箇所は確認出来なかった(精読した訳では無いので確認漏れの可能性も有り)。

書籍ベースでは、フロントヴァヤ・イリュストラツィヤ シリーズ・06/2006『T-34-76 下から上まで』の上巻に於いて、鋳造製の幅狭転輪を一体鋳造転輪初期型・40穴ゴムと分類している。しかしながら、同書では「ソリッドゴム部の幅」については触れられていない。

現在、ロシアのモデラーの間ではこの幅狭転輪については「狭リム・40穴転輪」等と呼ぶケースが多い。不思議と「BT-7のゴムの〜」といった表現は見掛けず、「40穴」を特徴として押し出している印象だ。
本稿では以下、ロシア文献及びモデラーの呼称に沿い、40穴・幅狭ディッシュ転輪」「40穴・幅狭鋳造転輪と呼称したい。「ディッシュ」と「鋳造」は言葉の意味的に対応していないが、ここはわかりやすさ優先で。

「40穴・幅狭ディッシュ転輪」と「40穴・幅狭鋳造転輪」の登場時期については、記録写真ベースで観察すると、前者の方が半年以上も早い。


写真は比較的お馴染みのもので、モスクワ攻防戦に於ける、赤軍・第1親衛戦車旅団所属の T-34。撮影は 1941年の11月とされる。

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…実はこの写真、書籍によって撮影日付のキャプションがまちまちで、1942年1月、同2月としているものもあって困りもの。一応、出典を明示している M.コロミエッツ氏著作の記述に従い「1941年11月」を採用した。1941年11月7日に、モスクワ・赤の広場で行われた革命記念式典パレード参加車両と各部の仕様がほぼ一緒なので、大きく外れてはいないだろう。

さて、写真がやや不鮮明ながら、この車両の左舷側転輪は(少なくとも)第2〜4転輪が「40穴・幅狭ディッシュ転輪」であると思われる。

この車両の様に 1941〜1942年の冬に「網状迷彩が施された第183工場製の T-34」では、「40穴・幅狭ディッシュ転輪」を混ぜ履きにしているケースが多い。例えば、PeKo Publishing刊の『T-34 ON THE BATTLEFIELD表紙の車両は、左舷第2転輪が「40穴・幅狭ディッシュ転輪」であろう。
いずれにせよ、「1941年11月」撮影の車両で既に装着が見られるという事で、その頃には装着が開始されていたと言える。

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恐らく 1942年春頃の撮影と思われるが、やはり冬期迷彩を施した第183工場製の車両で、第1転輪以外は全て「40穴・幅狭ディッシュ転輪」である。元写真は拡大すると辛うじてソリッドゴムの穴を数える事が出来、やはり「40個」だ。

六角砲塔の1942年型で見ると、日付が判明している貴重な例が、フィンランド軍が鹵獲した六角砲塔の先行量産車(後の R-155車)を撮影した写真で、同車は鹵獲時に「40穴・幅狭ディッシュ転輪」と「通常型 ディッシュ転輪」を混ぜ履き装備していた。SA-Kuvaのデータによると撮影は 1942年4月19日とされており、逆算すると、恐らくは同年3月の生産車と考えられる。

第183工場製・42年型の初期生産車で「40穴・幅狭ディッシュ転輪」の装着例は散見されるが、同転輪の装備期間としては 1942年4月〜5月位は終盤段階だと思われ、それ以降は順次鋳造転輪にシフトしていく。つまり、「40穴・幅狭ディッシュ転輪」の装備期間は「1941年晩秋〜1942年初夏位」と言う事が出来るだろう。

次に40穴・幅狭鋳造転輪だが、こちらは 1942年5月に撮影された第183工場での生産ライン及び完成車で、既に装着が見られる。残念ながら具体的な日付までは不明だが、5月は確定ということになる。

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なお「40穴・幅狭鋳造転輪」は、通常型の「鋳造(蜘蛛の巣)転輪」や「緩衝ゴム内蔵型転輪(鋼製転輪)」と一緒に使用されるケースも多い。前回冒頭の「ドヴァトール号」も「40穴・幅狭鋳造転輪」の他、「通常型 鋳造転輪」,「通常型 ディッシュ転輪」,「緩衝ゴム内蔵型転輪」と、実に4種類も混ぜ履きしている。
1942年5月に撮影された上記写真の車両でも、第1転輪は「通常型 鋳造転輪」を装着しており、つまりこれは
「40穴・幅狭鋳造転輪」と「通常型 鋳造転輪」は同時期に生産が開始されたということを意味している。

写真を追うと、「40穴・幅狭鋳造転輪」は 1942年初夏〜秋に撮影された車両に思いのほか装着例が多く、同時期の第183工場製の車両は、基本的に「40穴・鋳造転輪」を何らかの形で装着している率が高い。

【何故作られたか】
まず思いつくのは、余剰していた BT-7転輪用ソリッドゴムを有効活用した…という考え。
しかし、幅狭転輪はディッシュ・鋳造を通して実に1年近くも装備され続けており、第183工場製 T-34では、通常型転輪よりもむしろこの時期のスタンダードと言っても良い存在となっている。到底余剰在庫でまかなえる数量では無く、 BT-7用のゴム型を使用し、幅狭転輪用として積極的に生産されたと見るべきだろう。

1941年の後半は、第183工場を含む関連工場の、ウラル地方への大規模疎開の時期であり、また同時に、1941年後半からの増産計画に伴う各部の簡略化を実行し始めた時期でもある。恐らくはその辺が影響しているのではないかと思えるが、今後事実が明らかになることを期待したい。

【模型的なこと】
さてさて、でもって、ICMの転輪。きちんと40穴を再現しているのは良いんですが、ゴム周囲に掘られた溝部分が太くてちょっと印象悪い。ズベズダっぽいというか。ICMキット単体で使用するならば問題無いかもですが、ドラゴンの転輪等と混ぜて使用する場合には表現の差異が気になるでしょうね。

より正確さを望むなら、タミヤ BT-7の転輪からゴム部を持って来て、ドラゴンの転輪と合体させるのが満足度高いでしょうね。かく言う私もだいぶ前にやりかけて放置しているブツがあったり。
もっとも、ロシアのレジンメーカー【コンプレクト・ジプ】には以前からこの転輪のリクエストが行っていたので、ICMキットが出た今、同社からレジン製転輪が出る可能性も高まったかなとも思います。

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